首都オタワでは、毎年5月中旬にカナディアン・チューリップ ・フェスティバルが開催されます。
 

会場は市内のコミッショナーズ・パークで、誰でも無料で楽しめます。
 

街中に咲き誇るチューリップの球根は、感謝と友好の印として、1946年以降オランダ王室から毎年贈られています。
 

第二次世界大戦中の1940年5月、ナチスドイツがオランダ王国を占領。同年6月、王位継承権第1位のユリアナ王女は、血統を絶やさないために娘2人を連れて亡命を決意。
 

当時のカナダ総督の妻がオランダ女王の従妹だった縁があり、大西洋を隔てた北米大陸まではナチスドイツの手が及ばないとも考えられたことから、カナダが亡命先に選ばれました。
 

亡命中の1943年1月、ユリアナ王女は第三子の出産を予定していましたが、カナダで赤ちゃんが生まれたら自動的にカナダ国籍を得る出生地主義が問題になりました。
 

当時のオランダは二重国籍を認めていなかったので、生まれた子は王族でありながらオランダ国籍が失われてしまうことになります。男子であれば、王位継承権が第一位になる可能性もありました。
 

そこでカナダ政府はオタワ市民病院の分娩室にオランダ国旗を掲げ、一時的に国際領土として治外法権にすると宣言。カナダ国会議事堂のピースタワーにもオランダ国旗が掲げられました。
 

カナダ政府の特例措置のおかげで、カナダで生まれたマルフリート王女には、血統主義によりオランダ国籍と王位継承権が与えられました。王女は現オランダ国王ウィレム・アレクサンダーの叔母様です。
 

オランダ王室は1946年、感謝と友好の印として、チューリップの球根10万株をオタワに贈呈。その後も毎年1万株ずつ贈られるようになりました。
 

1953年からはカナディアン・チューリップ ・フェスティバルが開催されるようになり、1967年にはユリアナ女王も表敬訪問されました。
 

ちなみにチューリップの原産地はトルコ。オスマントルコ帝国を訪れたオランダ人が球根を持ち帰り、独自に品種改良を重ねて、現在も数多くの種類のチューリップを生み出し続けているそうです。